社長ブログ
ITで地域と企業を元気にする会社、株式会社フクールの福崎です。 役にたつ情報・・・・も少しはあるかもしれませんが(笑)、だいたいが他愛もない事だと思います! もし、良かったら読んでください。
MAXHUB
秋分の日の朝、一面に広がる田んぼの脇をランニングした。稲刈り前の田んぼは稲穂が倒れていたり、ピンと立っていたりさまざま。稲刈りの終わった田んぼからは、独特の香りが広がる。切り株や藁の植物の香りと、表に出てきた土の匂いが混ざった香り。新鮮で、かつ懐かしいこの香りが好き。嬉しい気持ちになっていたら、稲刈りを始める家族もちらほら。収穫の季節は全てが美しい。気持ちが良くなって走り過ぎた笑。富山マラソンの準備は上々だ。
昔の人は、収穫の喜びや感謝の想いを、豊穣の象徴である月に祈った。月の満ち欠けによって、土の引力や昆虫の動きなどが変わるため、古来から農作業は月を意識して行われていた。だから月の神様には五穀豊穣の御利益があると言われている。
豊作への祈りと感謝の気持ちを月の神様へ捧げる行事として、江戸時代以降広がったのがお月見。特に旧暦の8月15日が秋の真ん中「中秋」だということで、この日の夜に昇る月を「中秋の月」と呼んだ。そして、この頃の月が特に美しく見えることから「中秋の名月」と呼ばれるようになった。
今年の中秋の名月は昨日(9月25日)。雲が多かったけど、美しい月が見られた。お団子や芒(すすき)を供えて縁側で月を見る・・・ということはできなかったけど、月を眺めて日々に感謝した。同じ収穫の儀式であるハロウィンとの違いが面白く感じられた。
ちなみに、この「中秋の名月」を眺める風習は平安時代の貴族の遊びだったらしい。庶民が今のような意味づけをして一般に広がったのは江戸時代から。立山開山伝説も平安時代後期の文献に初めて登場する。それを庶民の中に広げたのは江戸時代。江戸時代という安定した時代は、それ以前の時代と全く違うのだと思う。今という期間を切り取るとなかなか感じにくいかもしれないけど、何もかもが変化のなかにいる。
祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり。
ちなみに、最初の立山開山伝説に有頼少年は出てこない。白い鷹と熊を追っていったのは佐伯有若。今伝承されている伝説ではお父さんとして出てくる越中国の国使。越中男子は十五、六歳になると立山に登拝して一人前になるという儀礼を正当化するために有頼少年を登場させたと言われている。現生で犯した罪を立山というフィールドで洗い出し、それを受け入れてまた生きていく。一番大切なことが何も変わらなければ、それ以外は変えていけば良い。そんな事を感じさせてくれる。
布橋灌頂会もそうかもしれない。姥堂に祀ってある姥様は芦峅寺の郷土神。もともと女性を神として崇めていた人たちにとって、立山が女人禁制とはいえ女性が救われないのは納得がいかなかったのかもしれない。だから、布橋灌頂会を編み出したのかもしれない。擬死再生の物語の本質を大切にした新しい儀式。伝統を変えている。そんな眼差しで明日、この儀式の中に行く。
今週は二日間しかなかったけど、お客様先に行くことができた。やはり現場はいろんなことを感じさせてくれる。現場にもっと行きたいと感じさせてもらえた。
新鞍さんとの同行で、お客様先にお邪魔した。訪問の目的がどんなものだったか分からなかったけど、お伺いしてお話ができたことは意味があった。すごく考えさせられた。先方のAさんが開口一番に「あんなフェアを開催しているということが素晴らしい」という趣旨のお言葉をくださった。どのポイントを捉えられて言われているのかは分からない。分からないけど、フェアというものの存在ではなく、それを開催しているフクールという会社を評価してくださったと感じた。
実際、私たちの業界で、このような展示会を開催しているのは、富山リコーや富士フイルムくらいかと思う。ローカル資本の企業がこのような展示会を開催しているところはないと思う。もちろん、HCSやインテックなどもローカル資本と言えばそうだけど、そこまでいかないとない。これは、フェアを開催した当初からずっと変わらない構造だと思う。
『フクールしかやっていない』ということが、そもそも考えなければいけないところ。なぜ、他の同業他社は開催しないのか。そんなことは知ったこっちゃない。やらないことに理由があったとしても、他社は他社の考えがある。「なぜ、私たちは開催するのか」が大切だ。少なくとも、私は開催する意義があると考えている。開催しなければならないと考えている。それは、何も目立つからとか宣伝のためではない。もちろん、そのような側面もあるけどそれが本質ではない。本質は「人が育まれるということ」「組織の和が強まるということ」。このためにやっている。「感謝と貢献」という大前提の目的を達成するために、いつもと違う力を発揮したり、それが合わさっていくことが私なりの目的だ。その目的でやっているつもりだった・・・
Aさんにお言葉をいただいた時にふと思った。当社のみんなは、『当たり前』だと思っているのではないだろうか。フェアを開催することは「当たり前」。フクール=フェア。フクール=イベント。そんなふうに思っていないか。このような挑戦ができることをどう考えているのか。他社が挑戦しないことに挑戦しているということをどう捉えているんだろうか。感謝か喜びか、はたまた業務の一環か。今年のフェアを良い悪いで表現するつもりはないけど、全員が何かを感じたはずだった。フェアが終わって10日以上経って、以前以後で何かが変わったんだろうか?
これは、みんなが「変わっていない!」と言っているわけではない。純粋にみんなとの関わりが少ないから分からないという意味。分からないけど、「当たり前のイベント」というマインドだったら変わらないだろうなと思う。そして、変わらないのであれば開催の意義を問わないといけないような気がしてきた。お客様先を出てから、ずっとそんなことを考えていた。いや、もしかしたらそれ以前からずっと考えていたのかもしれない。
頭の中の整理をする必要があるなと思って、今日、KOTELOに来た。もちろん、溜まりまくった業務をやるためだけど、終わった後にMAXHUBに向き合った。MAXHUBと対峙して、思ったことを書き殴る。自分が考えていることの奥の奥の奥までたどり着くことは容易ではない。けど、MAXHUBの大きな画面はその手伝いをしてくれる。
経営者仲間のNさんが私を壁打ち相手に使うように、私は私という存在にMAXHUBを通して壁打ちしているのかもしれない。
大きな画面はどこまでも私自身を深く潜らせてくれる。しかも終わりがない。どこまでも書ける。無限だ。思考も宇宙だなと思うし、MAXHUBも宇宙だなと感じた。テクノロジーに対してこんな感情を持つことは想像もしていなかったけど、私の鏡としてMAXHUBを見ていた。誰もいない土曜日、MAXHUBを通して自分自身と向き合うことができた。
秋のKOTELOはいい。中秋の名月、ここから眺めるのも良さそうだ。ちょうど芒(すすき)が実っている。芒(すすき)は月の神様を招くための依り代だと言われている。茎は中が空洞(中空)になっており、そこに神様が宿ると信じられているらしい。
そういえば、KOTELOもこの時期に生まれた。はや5年が経った。これも当たり前ではない。
来週で9月も終わる。今期になって2ヶ月が終わることになる。「8月、9月はあっという間だった!」で片付けるのは雑すぎる。
お客様先に行って良かった。現場にはこんなにも教材がある。
変わらなければいけないのは私自身だと確信した。



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